息子が通う小学校に匿名の寄付があったらしく、
生徒一人当たり$250のギフトカードが支給されるとのことで、
今日は学校に受け取りに行ってきました。
ちなみに寄付の総額は日本円換算で約1400万円程度です。
この匿名の人物は過去にも小学校に対して支援してくれたことがあったそうです。
「寄付とは粋にやるもんだ」ととある大富豪が言っていたと聞いたことがありますが、
この人物はまさにその姿勢を体現していると言えます。
こういう人たちのことを真のGiverと呼ぶのでしょうね。
寄付=損という価値観
時を同じくして、妻から「Youtuberのヒカキン氏が1億円を寄付したらしい」という話を聞きました(妻はヒカキン氏のファン)。
「1億円も寄付するなんてすごい。自分にはできない」と妻は関心していました。
おそらくそれは、「寄付=お金を損する」という価値観に基づいているからでしょう。
寄付に対して「失う」とか「損する」という価値観を持っていたら、
金額が小さくても寄付することにブレーキを感じるはずです。
なぜ、「寄付=損」と考えるかと言うと、
支払ったお金に対するリターンがないからです。
通常、我々がお金を使うときと言うのは、
必ずなにかしらのリターンがあるものです。
リターンを期待せずにお金を与えることができるのは、
子供などの肉親ぐらいに限られています。
見ず知らずの赤の他人のために身銭を切ることなんて、
普通の思考回路を持った人なら常軌を逸しているとすら思えるかもしれません。
「汗水たらして稼いだお金を何の見返りも求めずに手放す」
そこにはとてつもない痛みがあります。
多くの人は「いかにお金を損しないようにするか」ということを考えています。
お金に価値を置きすぎている人ほどその傾向は顕著です。
誰かがお金の流れを止めるとその先にお金が流れなくなり、
結果として経済は停滞し不景気になります。
人間は何のためにお金を使うのか?
寄付に対する考え方について話す前に、
「何のためにお金を使うのか?」ということについて考えてみます。
人間がお金を使うのは何のためでしょうか?
お金というのは何かしらの価値を手に入れるために、
その対価として支払うものです。
したがってお金を使う目的は、表面的には「価値(結果)を手に入れるため」ということになります。
しかし、もっと抽象度を上げて考えてみると、
人間がお金を使う目的は「もっと良くなりたいから」です。
なぜ「もっと良くなりたい」のかというと、
幸福感を感じたいから、要するに幸せになりたいからです。
つまり、人間がお金を使う真の目的は「幸福感を感じるため」です。
寄付することで得られるリターンとは?
ここで寄付に話を戻しますが、
寄付という行為は本当に何のリターンもないのでしょうか?
確かに物質的なリターンはないかもしれませんが、
精神的なリターンはとてつもなく大きいはずです。
自分が寄付したことによってたくさんの人が笑顔になることを想像すると、
心がとても温かい気持ちになり幸福感に満たされるはずです。
人間が最上の幸福を感じるのは、「他人に貢献したとき」だと言われています。
マズローの五段階欲求説からもわかるように、
人間は満たされてくると「人の役に立ちたい」と思うようになるのです。
それは「人の役に立つ」ことが幸せであると、
本能的に理解しているからかもしれません。
自分の私利私欲を満たすためだけにお金を使っていたら、
この幸福感を味わうことはできません。
所詮は「自分サイズの幸福」までしか感じることができないのです。
寄付という行いをすることによって、
社会サイズの幸福を味わうことができます。
寄付に対してブレーキを感じない人たちは、
寄付をすることによって得られる喜びの大きさを知っているのでしょう。
実は寄付をした人が一番大きなリターンをもらっているのです。
それが形として見えないから、表面的には損しているように思えるだけです。
抵抗なく寄付する人ほど豊かになる
寄付をすると、お金に対する執着心が消えるので、
ますますお金を引き寄せやすい体質になります。
綺麗ごとではなく、世のため人のためにお金を使える人が、
結果として豊かになるというのがこの世の真理であるようです。
逆に「絶対に渡してなるものか」とお金に執着している人ほど、
お金に恵まれていない傾向があるような気がします。
人生の終わりを迎えるときに、
自分がいくらの資産を築いたのかよりも、
自分がどれだけの人に喜びを与えたかのほうが、
幸福な人生であったと思えるはずです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。